上邪なれば
上邪(よこしま)なれば、下正しがたく,衆枉(もう)なれば、矯(た)むべからず。
(何 承天)上のものが道理から外れれば、下にいるものも乱れを正すことは出来ず、多くの人が不正を働くようであれば、人倫を正すことは出来ない。
※「枉」は道理を押し曲げること、「矯」は正しい形に直すこと。
「上邪篇」より
約35年余り人事部門で、いろいろの仕事についてきましたが、その中でも出入り業者のとんでもない誘惑にあったことが何回もあります。
特に印象的なのは、30歳になる少し前の主任として福利厚生の全般に取組んでいた、改善意識の非常に高いときのことでした。
従業員の転勤に当たって、引越し手配は会社の製品運送業者に依頼していましたが、従業員からの不満が多くて業者を近隣の運送業者に変更しました。その歳の年末に、変更した運送業者の営業課長が「年末の挨拶に参りました」と来られたので、応接で「評判も良いので是非引き続き頑張ってもらいたい」旨の話をしていますと、「お礼です」と封筒を差し出すではありませんか。中を見ますと、10万円のお金が入っていました、当時の私の手取りが5万円ほどのときです。
「よい仕事を続けてもらえばよいのであり、これは受け取れない」と言いますと「上司から指示されていて、子供の使いではないので持って返れない」と押し問答になりました。
結局「こんなことがされるのなら、次回からの仕事は発注できない」と厳しく叱責し持ち帰ってもらいました。
のちほどその会社の営業部長から、お詫びの電話がありましたが「私自身がその程度に見られていたのか」と悔しく思ったものです。
また、資材部門、設備管理部門、物流部門などでは、巨額の発注があり業者の誘惑が日常茶飯事とのことで、類似のことがあるだろうと空恐ろしくなったものです。

