所長のひとこと|2013年8月13日
知者は惑(まど)わず、仁者は憂え(うれえ)ず、勇者は懼れ(おそれ)ず
孔子の論語 憲問第十四の三十 より
= 論語に「知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず」とありますが、日本人はこの”三者調和“を大事にしています。 歌舞伎十八番・勧進帳の舞台として誰もが知る「安宅関」の設定は、この智・仁・勇が見事に決まった瞬間といえます。 物語は、鎌倉時代の武将 源 義経が、一ノ谷、屋島、壇ノ浦の合戦を経て平氏を滅ぼし、その最大の功労者となったもののその後に追われる中での一場面です。
義経は、頼朝の許可を得ることなく官位を受けたことや、
平家との戦いにおける独断専行によって生来の猜疑心からこれを退けようとする兄頼朝の怒りを買い、
それに対し自立の動きを見せたために、せっかく平家討伐で一番の手柄を挙げたのに、
最後は頼朝から追われる運命となりました。
義経は、全国に捕縛の命が伝わると難を逃れるために、弁慶ほか数人とともに身を変えながら奥州平泉を目指す途中、 加賀の国の安宅の関にやってきました。
山伏姿で安宅の新関にさしかかり、関を越えようとしたその時に、関守の富樫左衛門が、通行人ひとりひとりを尋問していました。
その関守の富樫泰家に見とがめられ、詮議の問答が始まりますが、一行のリーダーを装った弁慶は、 自分たちは源平の兵乱で荒廃してしまった奈良東大寺を復興させるために、復興資金集めの全行脚をしている、と嘘の説明をします。
すると関守の富樫が、「それが本当なら、勧進帳を持っているはずだ、それを読め」と求めてきました。
弁慶は、何も書かれていない勧進帳をすらすら読み上げたために富樫は弁慶一行の通過を許しましたが、 最後の強力姿(荷人夫)の義経が富樫から義経に顔が似ているとの、疑いをかけられ止められました。
弁慶はとっさに機転を働かせ、顔が似ていると言う関守の富樫の前で「義経に似た貴様が憎し」と主人の義経を金剛杖で打ちすえました。
富樫の関心をそらせるための大芝居を演じたわけですが、冨樫は弁慶の忠誠心に心をうたれ、義経一行だと気付きながらも関の通行を許しました。
このシーンは、とっさに大芝居をうつ弁慶が「智」の人なら、本当は気付いていたにも拘わらず結局通行を許した富樫は「仁」の人、 弁慶による打ちすえを懸命に耐える義経は勇」の人、といえるでしょう。
以上をまとめて言うと智があって仁となり、仁があって勇が生れるのであり、心から喜びつつ湧き出る力こそ真の勇と言えます。
周囲の圧力や見栄、利害でなす行為は真の勇気ではないというのは、それには仁が無いからです。
翻って考えてみると、現在の世相の悪化は、社会から勇が失われているからと言っても過言ではないのではないでしょうか。
今回の参議院選挙においても、世のため、人のために尽くすという真の勇者が、どれほど当選されているのか大変危惧するところである。
義経は、全国に捕縛の命が伝わると難を逃れるために、弁慶ほか数人とともに身を変えながら奥州平泉を目指す途中、 加賀の国の安宅の関にやってきました。
山伏姿で安宅の新関にさしかかり、関を越えようとしたその時に、関守の富樫左衛門が、通行人ひとりひとりを尋問していました。
その関守の富樫泰家に見とがめられ、詮議の問答が始まりますが、一行のリーダーを装った弁慶は、 自分たちは源平の兵乱で荒廃してしまった奈良東大寺を復興させるために、復興資金集めの全行脚をしている、と嘘の説明をします。
すると関守の富樫が、「それが本当なら、勧進帳を持っているはずだ、それを読め」と求めてきました。
弁慶は、何も書かれていない勧進帳をすらすら読み上げたために富樫は弁慶一行の通過を許しましたが、 最後の強力姿(荷人夫)の義経が富樫から義経に顔が似ているとの、疑いをかけられ止められました。
弁慶はとっさに機転を働かせ、顔が似ていると言う関守の富樫の前で「義経に似た貴様が憎し」と主人の義経を金剛杖で打ちすえました。
富樫の関心をそらせるための大芝居を演じたわけですが、冨樫は弁慶の忠誠心に心をうたれ、義経一行だと気付きながらも関の通行を許しました。
このシーンは、とっさに大芝居をうつ弁慶が「智」の人なら、本当は気付いていたにも拘わらず結局通行を許した富樫は「仁」の人、 弁慶による打ちすえを懸命に耐える義経は勇」の人、といえるでしょう。
以上をまとめて言うと智があって仁となり、仁があって勇が生れるのであり、心から喜びつつ湧き出る力こそ真の勇と言えます。
周囲の圧力や見栄、利害でなす行為は真の勇気ではないというのは、それには仁が無いからです。
翻って考えてみると、現在の世相の悪化は、社会から勇が失われているからと言っても過言ではないのではないでしょうか。
今回の参議院選挙においても、世のため、人のために尽くすという真の勇者が、どれほど当選されているのか大変危惧するところである。